ミステイク&エラー
宇野眞和

 俺は美香の家に入るなり、猪突猛進の勢いで彼女の首にロープを回した。
 俺は美香を許せなかった。こいつに俺以外の男がいることは、もはや明白だった。しかしこいつは決してそのことを認めようとしなかった。この間、美香のケータイの着信記録をチェックしてみると、俺の知らない男から何度も電話がかかってきていた(それも決まって夜中だ)。本人に尋ねてみると、「ただの会社の同僚よ。やめてよ、勝手に着信見るの」とはぐらかされた。嘘をつけ。何でただの会社の同僚と、夜中まで話すことがあるだろうか。しかも毎晩のように。まだある。以前、美香は俺のデートの誘いを断ったことがある。だがそのデートを予定していた日、俺は彼女が他の男と手をつないで歩いているのを目撃した。翌日そのことを問いただすと、「私、双子の妹がいるの」などとぬかしやがった。ふざけるのもいい加減にしろ。そして決定的なのはこれだ。俺がこの家の洗面所を覗いたとき、電動ひげ剃りが洗面台の上に置いてあった。俺のものではないことは確かだ。それついて、美香はこう言った。「ああ、先月、うちのお父さんが泊まりに来て、忘れていったの」。よくもまあそんなでたらめを……。ひげ剃りのバッテリは、先月からここに置かれていたというわりには、まるで充電したてのように満タンだった。洗面器を見てみると、案の定、細かなひげが少しこびりついていた。この中で洗浄したに違いない。ということは、この女はこの前の日に、どこの馬の骨とも知らない男と一夜を共にしたのだ。そんな家に部屋に平然とした顔で俺を招き入れやがって……。
 実際はこれだけではない、まだまだ浮気の証拠はつかんでいる。人一倍プライドの高い俺には、欺かれること、侮られることは何よりの屈辱だった。次第に俺は、美香に対する殺意を膨らませていった――。
「お前が悪いんだよ、美香……」
 すでに息をしなくなった彼女に向かって、俺はつぶやいた。
 さて、問題はこれからどうするか、だ。部屋を荒らして強盗殺人にでも見せかけるか、それとも夜になるのを待って死体をどこかに捨てに行くか……。勢いにまかせて自宅を飛び出したのはいいが、その後のことを俺はまったく考えていなかった。
 どっちにしろ、まだ時間は充分にある。俺は、屈辱をはらした安堵感から、急にタバコが吸いたくなった。ポケットに手を入れると、タバコはあったが、ライターにオイルがなかった。俺はキッチンへ行き、コンロでニコチンを包んだ紙の筒に火をつけた。ふと流し台を見ると、食事をした後の食器が無造作に置かれてあった。それも二人分。もちろん彼女は一人暮らしだ。また誰か男を連れ込んでいたのか……。
 俺は、彼女と出会ったころのことを思い出した。あのころは、美香がそんな女だとはわからなかったし、こんな結果になるとは、夢にも思っていなかった。
 もしこんなことになると知っていたら……。
 余計な思考はここまでしておこう。本格的に後処理のことを考えななくては。
 まずは死体だ。部屋に残すか、どこかに捨てるか。ええと、彼女が会社を無断欠勤すれば、心配した会社の方からマンションに連絡を入れるだろう。そして管理人が部屋を開けて……。まあ、部屋に残しておけば殺人として即捜査だし、捨てていても不審な失踪事件として恋人だった俺のところにも警察がやってくるだろう。どちらにしろ、警察との面会は免れないな。
 なかなか具体的な案は出てこない。俺は自分の無計画さにあきれると同時に、そんな自分が愛らしくも思えた。一般の衝動殺人者は、こんなときどんなことを考えるものだろう……? 俺はすっかり短くなったタバコを、流しに捨てた。小さく深呼吸。とりあえず、指紋を拭いておいた方がいいだろうか。でも恋人なんだから、そんなものがあるのは当たり前だな……。
 俺は考えながら、部屋の中をうろうろ歩き始めた。ボストンバッグが一つ、部屋の隅に置かれているのに気づいた。俺はなにげなくバッグに手を伸ばし、中を見てみた。洋服、下着、歯ブラシ……。旅行にでも行くつもりだったのだろうか? ちくしょう、またどこかの男と……! 再び怒りがふつふつとよみがえってきた。
 俺は怒りをしずめようと、窓の外を見た。
 ――まさか自分が殺人者になって、死体の処理の仕方などを考えるようになるとは……。人生とは、何があるのかわからないものだな……。俺はそう思って、自嘲気味に笑った。
 そのとき、がちゃりという音がして、玄関のドアが開いた。俺ははっとしてそちらを向いた。
 あまりにも唐突な幕切れだった。その瞬間、俺はすべてを悟った。――二人分の食器、ボストンバッグの中の荷物……。
 俺の名が小さく叫ばれた。俺はその声が頭に染み渡るのを確認すると同時に、フローリングの床で死んでいる女をちらりと見た。
「……ほんとにいたんだ」そして俺は、玄関で呆然と立ちつくしている美香に、つぶやくように言った。「双子の妹……」


       あとがきへ      戻る          トップページに戻る