PINK FLOYD(香川県を中心に活動しているEFBバンドのページです。)
psychedelic
FARFISA ORGAN
ブルースは生活だとすればロックは反抗とか反発 70年代ベトナム戦争が起こってる時代、若者はヒッピースタイルで自由を訴えたフロイドは自分たちの感じたこと 考えてることを音楽で表現するためには方法を選ばない自由な発想でアルバム作りに取り組んでいた。その信念をもっていたのはロジャーウォータースだ、ビデオポンペイでは 魂(感情)を入れるため実際にだれもいないポンペイ跡に大掛かりな機材を持ち込みフルボリュームで演奏したりその周りからくる感覚を前衛的に音にして録音している。また アビーロードスタジオでレコーディングしているようすではアルバム狂気のシンセサイザーや色々な効果音などの表現方法で苦悩しているところや各パートの録音では力のこもった感情を入れた演奏 ゆたかなやさしい演奏をしているのが分かる。その他 犬と一緒にジョイントし 鳴き声を録音したり 演奏しながら人の叫び声など その時の空気を入れるための録音しているようす 音楽に対してのコメントなども答えている。そして ポンペイビデオはPAマンレコーディングエンジニアのバイブルと言われているらしい それは音楽を作る録音機材を使う上でどう表現するか どう魂をふきこむかが芸術として学ぶ点が多いからだと思う。最後にフロイドの詩集は今だに売れているし狂気はアルバムでは長い間売れ続けている。70年代前後のフロイドは素晴らしい芸術的ロックだと思う。
メンバー
ニック・メイスン
ドラムス
1945年 バーミンガムに生まれる。
シド・バレット
ギターリスト
1946年 ケンブリッジに生まれる。
ロジャー・ウォーターズ
ベースプレイヤー
1944年 グレート・ブッカムに生まれる。
リック・ライト
キーボードリスト
1945年 ロンドンに生まれる。
ディヴ・ギルモア
1947年 ケンブリッジに生まれる。
フロイドの歴史
1965年
ロンドンにあるリージェント・ストリート建築工芸学校でロジャー(g)、ニック(dr)、リック(k)で近代音楽に関する論争で意気投合し、それからクライグ・メトカーフ(b)、キース・ノブエル(vo)、ジュリエット・ゲイル(voリックの夫人)、6人でシグマと言うバンドを作りブルースやR&Bなどの音楽を始めその後バンド名をT−セット、メガデス、アーキテクチュラル・アブダブス、アブダブス、と名前が変わっていくが解散する。その後、ロジャー(bここでベーシストに転向)、ニック(dr)、リック(k)、と美術学校に通うシド・バレット(vo・g)、ジャズに興味があるボブ・クローズ(g)、バンドを作るがボブ(g)、は脱退その後バンド名をピンク・フロイドになる。その後ロンドンのマーキー・クラブとかライブハウスやイベントなどで様々なライブ活動を始める。ディヴ・ギルモアはフォリナーのリック・ウィルスと「ジョーカーズ・ワイルド」と言うバンドを結成する。
1967年
デビューシングル「アーノルド・レーン」(全英20位)を発表。
2hdシングル「シー・エミリー・プレー」(全英6位)を発表。
デビューアルバム「夜明けの口笛吹き」(全英6位/全米131位)を発表。
3hdシングル「アップルズ・アンド・オレンジズ」を発表。
ソフト・マシーン、ザ・フーその他、色々なバンドとライブなどで共演する。
ジミーヘン・ドリックス、ザ・ムーヴ、ザ・ナイス、などとツアーを行うがシド(vo・g)、は時々ライブに顔をださずザ・ナイスのデイヴィッド・オーリストが助っ人する。
1968年
4thシングル「イット・ウッド・ビー・ソー・ナイス」を発表。
2hdアルバム「神秘」(全英9位)を発表。
5thシングル「ポイント・ミー・アット・ザ・スカーイ」を発表それ以後11年イギリスでシングルは発表されていない。
映画「ザ・コミニティー」、のサウンドトラックを作る。
映画「トゥナイト・レッツ・メイク・ラヴ・イン・ロンドン」のサウンドトラックに作品提供する。
「ボーン・トゥ・キング5」の作曲をする。
シド・バレットが脱退しディヴ・ギルモアが参加する。
ヨーロッパ公演を行う。
2度目のアメリカ公演で評判が良くライブスケルージュルの延長になる。
大きなイベントライブなどにも参加し始める。
1969年
4thアルバム「ウシグマ」(全英5位/全米74位、初のライヴレコーディングを含む二枚組)を発表する。
360度円盤音響システムを使い出す。
機材が5トンにも及ぶ初の全国イギリスツアーを行う。
BBCテレビの番組の音楽を担当するため出演する。
西ドイツのテレビでアポロ11号月面着陸放送のバックで演奏する。
オランダのテレビ局のアポロ11号番組に音楽的協力する。
1970年
5thアルバム「原子心母」(全英第1位/全米55位)を発表する。
映画「肉体」のサウンドトラックを発表する。
映画「砂丘」の音楽協力する。
原子心母」の原型の大作を8000人を集め演奏、その後フォーンセクションと合唱隊を混ぜ正式に披露する。
「ハイド・パーク公園で5万人を集めるリー・コンサート出演する。
シド(g)はソロデビューアルバム「帽子が笑う・・・気味に」(全英40位)と2htアルバム「その名はパレット」を発表する。また初のライブも行う。
1971年
シングルを集めた「ピンク・フロイドの道」(全英32位/全米152位)を発表する。
7htアルバム「おせっかい」(全英3位/全米70位)を発表する。
リタン・オブ・ザ・サン・オブ・ナッシングを披露するこの後タイトルをエコーズへ、
来日公演「箱根アフロディーテ」、4万人を集めた。
1972年
8htアルバム「雲の影」(全英6位/全米46位)を発表する。
9htアルバム「狂気」(全英2位/全米第1位)を発表する。
アメリカのみシングル「マネー」(全米第1位)になる。
アルバム「ナイス・ベア」(全英21位/全米36位)を発表する。・・アルバム「夜明けの口笛吹き」と「神秘」を合わしたもの・・
ドキュメント映画「ピンク・フロイド・アット・ポンペイ」(エイドリアン・メイベン監督)が作られる。
バレイとの共演がされる。
2回目のジャパーン来日公演が行われる。
1974年
ドキュメント映画「ピンク・フロイド・アット・ポンペイ」が正式公開される。
フランス公演で狂ったダイアモンド、ゴッタ・ビー・クレージー(ドッグ)、レイヴィング・アンド・ドゥルーリング(シープ)が披露される。
シド(g)は今まで2枚のアルバムを合わした「何人をも近づけぬ男」(全米163位)を発表する。
1975年
10htアルバム「炎」(全英第1位/全米第1位)を発表する。
1976年
発電所の上空に40フィートのピンクの豚のアドバルーンを上げアルバムカヴァー用に撮影する。
1977年
11htアルバム「アルバム」(全英2位/全米3位)を発表する。
1978年
デイヴ(g)のソロ・デビュー・アルバム「デヴィット・ギルモア」(全英17位/全米29位)を発表する。
リック(k)のソロ・デビュー・アルバム「ウェット・ドリーム」を発表する。
1979年
6htシングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」(全英第1位/全米第1位)・・イギリスでは11年ぶりのシングル・・
12htアルバム「ザ・ウォール」(全英3位全米第1位)発表する。
アメリカだけでシングル「ラン・ライク・ヘル」(全米53位)を発表する。
1980年
ニューヨークでザ・ウォール・ショウを行い15万人動員する。
1981年
編集盤「時の舞台」(全英37位/全米31位)を発表する。
ニック(dr)ソロ・デビューアルバム「時空の舞踏」(全米37位)を発表する。
1982年
7thシングル「ホエン・ザ・タイガー・ブロック・フリー」(全英39位)を発表する。
アラン・パーカー監督、ボブ・ゲルドフ主演の映画「ウォール」が公開される。
1983年
14thアルバム「ファイナル・カット」(全英第1位/全米6位)を発表する。
8htシングル「ノット・ナウ・ジョン」(全英30位)を発表する。
過去の未発表曲を加えた15htアルバム編集盤「ピンク・フロイドの遺産」(全米68位)を発表する。
1984年
デイヴ(g)2ndソロ・アルバム「狂気のプロフィール」(全英21位/全米32位)を発表する。
ロジャー(b)2ndソロアルバム「ザ・ブロス・アンド・コンス・オブ・ヒッチハイキング」(全英13位/全米31位)を発表する。
リック(k)、ファッションのディグ・ハリスとZEEを結成、デッビューアルバム「アイデンティティー」を発表する。
1985年
ニック(dr)、元10ccのリック・フェインとジョイイントアルバム「プロファイルス・・・ピンクの進化論」(全英154位)を発表する。
1986年
12月13日の時点で1973年に発表された9htアルバム「狂気」が654週、全米アルバムチャート内に入る!
おすすめソフト
CD 狂気
アルバム「狂気」はビルボード750週チャートインし、なんと15年間TOP200位内に入ていて、アルバムチャートでも1位、1500万枚を記録している。
CD おせっかい
ビデオ ライブポンペイ
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2001.02/15
08/19